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3・11震災その後(2)-石巻へ

一ヶ月前に発足した「一刻も早く被災地にパンの缶詰めを届ける活動」有志の会。きっかけは、大地震発生後二日目の朝、美味しくて備蓄になるパンの缶詰を発明し開発した株式会社パン・アキモトの社長に、地震お見舞のメールを出したことでした。

那須に本社のある秋元社長からは、大きな業務用オープンがずれてガス管が切断したが、今朝復旧したのでこれからパンの缶詰めをフル生産して、被災して飢えている方々に一刻も早く届けたい、ということでした。そして、この大災害において、パン・アキモトだけで拠出できる数はしれている、みんなで支援してくれないか、ということでした。

この二日間、オロオロするばかりでなにも役立ててない自分に、不甲斐ない思いをしていた私は、早速、経営者仲間に意見を聞いてみました。すると1時間後には10人くらいの賛同が集まっていました。みんな、すぐにでもなにかしたい、でも術がない、とくやしい思いをしていたのです。

そこで秋元さんには、こちらで資金集めをするので、とにかく生産と運送の手配に専念していただくようお願いしました。翌日の深夜には自衛隊の手に渡り、福島県の被災者へと渡されました。

一方私達応援団は、関東ニュービジネス協議会(NBC)のメンバーを中心に、メールで協力依頼を流すとともに、twitterやFacebookで経過を報告。友達の輪もひろがり、たちどころに約100名の方々から300万円の資金が集まり、そのお金はパンを作るための原資にあてました。

パンの活動は初動の支援ととらえていますから、支援金募集は4月8日で一旦締め切りました。結果的に約1ヶ月間で拠出したパンの缶詰は約2万缶、半月たった頃から生の食パンも加わりました。こういうときに、食パンは国民食として定着していると実感します。美味しい食パンが食べたい、とは何度も耳にした言葉でした。

さて、去る4月10日(日)、この活動資金による最後の拠出として、パン・アキモトの社員の皆さん、有志の会の仲間と一緒に、石巻に義援活動に行ってまいりました。6時40分東京発の始発新幹線で那須塩原に移動、そこからマイクロバスにたくさんの物資を載せ、高速道路で一路石巻市内へ。避難所は物資が溢れているということでしたので、食料が廻らない自宅難民の方々を、日本飢餓対策機構のスタッフの方々と、個別に訪問して、パンの缶詰や食パン、お菓子、チーズ、イチゴなどを配って歩いたのです。

そこで見た津波の爪あとの被害の大きさは、筆舌しがたいものがありました。そこがかつて住宅街であったとは想像し難い、あり得ない光景です。それでも道が整備され、車が走り、スニーカーで歩けます。ずいぶんな進歩なのでしょう。直後はいかばかりだったかと想像すると、胸が詰まって言葉が出ません。

これから私達にできることは、しなければならないことはなんなのか。石巻で過ごしたたかだか数時間の奉仕活動すら、私はまだ自分の中に消化しきれていません。このうえたくさんの試練を、どう考えればいいんでしょうか。少なくとも他人事ではなく、自分達の試練として、考えて議論して、少しでも行動しなければなりませんね。

20110410

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