親の歳を数える
日本映画が好調。その中でも注目の作品。
どこにでもある、年老いた親をとりまく家族の人間関係の1シーンだが、見終わったあとにじわじわと胸に迫り来るものがある。なんだろう、この後味は。
親が逝ってしまってから、「なにもしてやれなかったなあ」、という後悔からこの作品は生まれたと是枝監督はいう。
親孝行、したいときには親はなし。もう若くもない子どもは、そんなこと百も承知なのである。できれば親孝行したいのである。でも日々を生きるのがせいいっぱいで、親を思うことしかできないのである。
私の母も齢80を過ぎた。会うたびに小さくなっていく。今さら私の背が伸びているとは思えないので、やっぱり縮んでいるのだろう。人間ってこんなに縮むのかと、会うたびにびっくりする。
母を思うとき、脳裏に浮かんでくるのはいつも、自分が子どもだったころの母の姿。
例えば小学生のとき、大阪万博に行った帰りのバスの中。あまりの混雑に疲れてしまって、母にしがみついて立ったまま眠った。あのときの母は何歳だったのだろう。
とても若かったような気もするし、でもその存在は完璧な大人だったような気もするし。
指を折って親の歳を数える。すると今の自分と同じくらいだ。数えるまでもないことなんだが、なんだか不思議で仕方がない。
いつまでたっても、子どもは子どもで親は親。しかし親がいなくなってしまったら、もう子どもではいられない。そんな日が来ると思うと、なんだか悲しい。
映画を見たあとの帰り道、そんなことを思いながら歩く。そんな映画。

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